2026/01/12

2025年 『Brotherhood』ブルーレイ ライナーノーツ スティーブン・モリス

「Brotherhood」について スティーブン・モリスとの対談 


以前「Brotherhood」にはギター主体のトラックと、エレクトロニックなトラックが半分ずつに分かれているという、ある種の統合失調症的な側面があるとおっしゃっていましたね。曲をあのように提示したクリエイティブな意図は何だったのでしょうか?また、意図通りに受け止められたと思いますか?

「Low-Life」は、ほぼ全曲に電子楽器とアコースティック楽器が融合した、全体的に洗練されたアルバムだったと思う。ニュー・オーダーのサウンドにおいて、電子楽器とアコースティック楽器の組み合わせは重要な要素だと僕は常々思ってた。
問題は、エレクトロニックな楽曲は、その性質上、バンド主導とは言い難いということ。
1人が時間のかかるボタン操作をしている間、残りのメンバーは指をくわえていたり、大規模なプール賭博で金を失ったりしてた。
要するに、ロック系の楽曲の即興的で、全員で作り上げていくやり方と比べると、かなり長くて退屈なプロセスになる可能性があるということ。
一般的なポップ・バンドであれば、それはフラストレーションや不満を募らせるような状況に陥りがちで、僕たちも例外ではなかった。
あらゆるテクノロジーに執着していた僕は、この点に関しては全く非がないとは言えなかったかもしれない。キロバイトやインターフェースの話ばかりして、ジリアンをうんざりさせていた。
そんなことをいう理由は、「Low-Life」が完成するとすぐ新しく、より精巧な機材を購入したから。その探求は、さらなる時間の浪費と、それに伴う一部の人々のフラストレーションにつながった。
だから、長々としたシーケンサー主体の楽曲制作の後には必ず、バランスを保つために飾り気のないアコースティックナンバーを入れるという無意識のルールが生まれたように思う。
最初の2曲は「As It ls When It Was」と「State Of The Nation」で、どちらも「Low-Life」完成直後に書き上げられ、1985年5月の日本滞在中に完成した。
後に「Brotherhood」となる曲の制作に取り掛かるためにスタジオに入った時、
アルバム1枚分には満たない程度の曲があった。「Paradise」、「Weirdo」、「As It ls When It Was」、「Broken Promise」(それと「State Of The Nation」)がほぼ完成していた。
「Bizarre Love Triangle」と「Way Of Life」はラフ段階で、「All Day Long」、「Angel Dust」、「Every Second Counts」はまだ無かった。
これらはすべてスタジオで生まれた。エレクトロニックとアコースティックをバランスよく取り入れた曲作りのアイデアは短命に終わった。
これが、スタジオを予約してうまくいくことを祈るという、その後のパターンになった。創造性は締め切りから始まるらしい。
ダブリンからロンドンを経てリバプールまで、数々のスタジオでシーケンサーとサンプラーを駆使して多くの時間を費やした。アコースティック/エレクトロニックの側面は、当初は存在しなかったコンセプトというより、曲を並べる上で最も明白な方法として進化していった。

「Bizarre Love Triangle」はニュー・オーダーを代表する曲となりましたが、曲作りとレコーディングについて覚えていることはありますか?

「Bizarre Love Triangle」で特に印象に残っているのは、タイトルだね!
曲が完成する前にタイトルが決まったのは、おそらくあの時だけだったと思う。News Of The Worldの日曜版の「衝撃的ホラー」という刺激的な見出しから取った。それが曲の音楽性や歌詞の内容にどれほど影響したかは分からないが、いいタイトルを見つけるのはいつも難しいもので、あのタイトルはそのまま定着した。

「Brotherhood」のレコーディング中に、方向性を決定づけるような予想外の困難やブレイクスルーはありましたか?

「Bizarre Love Triangle」の最初のアイデアは、バーナードとフッキーがフェアライトを「借りた」ことから生まれたように思う。当時としては最先端のサンプラーとシーケンサーを組み合わせた、恐ろしく高価な機材だった。「いくらだ!これより安くナイトクラブが買えるぞ!」と驚きとともにそれは返却された。
結局、買えなかったんだ。
それでも、このちょっとしたテクノロジーの試行錯誤から生まれたアイデアの芽が「Bizarre Love Triangle」の基盤となり、予想外に素晴らしい作品に仕上がった。

振り返ってみて、アルバム制作中の一番の思い出は何ですか?

ダブリンのウィンドミル・レーンでのセッションは本当に楽しかった。そこではミキシングの予定だったんだけど、到着した時にはアルバムのほとんどの曲をレコーディングどころか、作曲すらしてなかった。
僕はアイルランドが大好きで、80年代後半のダブリンは最高の雰囲気だった。ただ、酒類販売に関する法律がちょっと変わっていた。深夜以降はビールの提供が禁止で、ワインしか出なかった。僕たちはすぐに慣れたけど、ジェフリー・バーナードだったらどう思ったかな?

今、「Brotherhood」を聴き返してみて、特に変えたい点、特に誇りに思う瞬間、あるいは単に時間とともに作品に対する見方がどのように変化してきたか、特に印象に残るものは何ですか?

「Brotherhood」は、以前から少し変わったサウンドのレコードだと感じていた。ちょっと雑然としていて、中音域が強調されているように感じる。しかし、ドルビーアトモスミックスでアルバムを聴き直したことで、曲に対する新たな評価を得ることができた。不思議なことに、最近はエレクトロニックパートよりも、「Broken Promise」や「Way Of Life」といったロック系の曲の方が好きになってきている。エレクトロニックパートは、曲自体は素晴らしいのだけど、プロダクションが少し時代遅れに感じるんだ。

アルバムをアトモスで聴いて、特に印象に残るディテールや瞬間はありますか?

僕にとってアトモスミックスは「Brotherhood」に、オリジナルのステレオ録音には欠けていたと感じていた空間と空気感を与えてくれた。曲がより広がり、「Movement」のような広大な空間やアンビエンスはないけど、より明瞭さが増していると思っている。

スティーブン・ウィルソンによる2024年ミックスに関する注記
「As It Is When It Was」と「Broken Promise」のマルチトラックを長時間かけて探しましたが、見つからなかったため、STEM分離ソフトウェアとスティーブンによるドラムパートの熟練したリトリガーを組み合わせて、これらのトラックの5.1chおよびアトモスミックスを作成しました。これは理想的ではありませんが、オリジナルアルバムの再生フローとシーケンスを維持しながら、これらの2曲に疑似的な空間体験を生み出すことができました。

2025年 『Low-Life』ブルーレイ ライナーノーツ スティーブン・モリス

 「Low-Life」について スティーブン・モリスとの対談

ニュー・オーダーは「Low-Life」に至るまでに、シンセサイザーとサンプラーをギター主体の要素と融合させた、より独特なサウンドを確立していました。「Power, Corruption and Lies」とこのアルバムの間は、意識的にそうしようと決めたのでしょうか?それとも、絶え間ない実験の自然な結果だったのでしょうか?

「Movement」の後、僕たちはドラムマシン、シーケンサー、シンセサイザーを本格的に使い始めた。「Power, Corruption and Lies」では、当時最先端のデジタル技術の可能性を探るという目標があった。

そのおかげで、ジョイ・ディヴィジョンのようなサウンドから、クラフトワークやジョルジオ・モロダーのようなダンスミュージックでありながらもロックな音楽へと移行した曲を作ることができた。

「Power, Corruption and Lies」では、以前とは異なる新たな方向へと進み、ニュー・オーダーらしさらしさを発見したと思う。

では、「なぜ『Power, Corruption and Lies』はこの素晴らしいアトモス処理を受けていないのか?」と問われる前に、お詫び申し上げます。自己弁護で言わせてもらうと、40年前、24トラック・リールを再び扱うことになろうとは思いもよらなかった。とはいえ、それでも少々不注意だったと言えるでしょう。

「Low-Life」は僕にとっては自然な流れのように感じた。『Power, Corruption and Lies』では、DMXデジタル・ドラムマシン、Emulatorサンプラー、Prophet 5シンセサイザーとポリシーケンサーといった新しい機材を使い始めた。「Low-Life」に取り掛かる頃には、これらの機材の使い方をほぼ理解していた(実際そうでなかったとしても)。そして、それらを使って多くの曲を書いたり、「The Perfect Kiss」のような、より精巧なアレンジに使っていた。

アルバムに収録されている、「The Perfect Kiss」のかなり短縮されたバージョンは、ショービズ的な妥協の最初の兆候と言えるだろう。

バーナードは(時には渋々ながらも)リードシンガー兼作詞家としての地位を確立し、彼が言葉に詰まった時には、残りのメンバーが数行ずつ手伝うというスタイルだった。それはかなりうまくいったように思えた。

「Low-Life」は、メジャーレーベルとの契約に関わった初めてのレコードでもあった。世界各国ではまだファクトリーからリリースされていたが、アメリカではクインシー・ジョーンズのQwestレーベルと契約した。

その副作用として、バンドはアメリカでの規範に妥協し始めた。アルバムにシングルを収録したり、MTVで放送されることを期待してプロモビデオを制作したり、全体的に少しばかり従順になったのだ。

「Low-Life」はニュー・オーダーの2枚目のセルフプロデュースアルバムです。マーティン・ハネットと仕事をしていた頃と比べて、レコーディングのプロセスやスタジオワークへのアプローチに大きな違いを感じましたか?そして今聴き返して、制作における進化をどのように感じますか?

「Movement」の終わりにマーティンと激しく袂を分かち合って以降は、マイケル・ジョンソンと一緒に仕事をし、とても良好な関係を築いていた。テープを編集して曲をアレンジするというアイデアを提案したのはマイクだった。なぜ我々はもっと早くこのアイデアを思いつかなかったのだろう?

編集はマイクの得意分野の1つだった!それはマーティンがほとんどやってなかったことの1つだった。僕たちはスタジオを曲作りや制作全般のプロセスの一部として活用することに、以前よりずっと自信を持つようになっていた。

これは、アトモスミックス用のマルチトラック・テープを聴き直した時に明らかになった。例えば「This Time of Night」、「Face Up」、「Sub-Culture」のアレンジは、24トラック・テープと完成版では微妙に異なっていた。

アレンジはすべて、ミックステープを編集するか、ミキシング中に手動でパートをミュートすることで行った。

制作面で特に誇りに思っている曲はありますか?

「The Perfect Kiss」には本当に誇りを持ってる。あの曲には、音響的にも音楽的にも、本当にたくさんの労力を注ぎ込んだから。フルレングスのバージョンは、ブリタニア・ロウでの24時間ミキシング・マラソンという壮大なスケールだった。前にも言ったように、かなり短縮されたアルバム編集バージョンでは、その魅力を十分に伝えることができない。その編集作業にかなりの労力を費やしたとは言ったっけ?

振り返ってみて、アルバム制作中の思い出の中で一番なものは何ですか?

「Love Vigilantes」は本当に楽しかった。シーケンサーやテクノロジーを一切使わず、美しくシンプルな曲で、ニュー・オーダーがカン​​トリー&ウエスタンに最も近づいた曲だった。バーナードの歌詞も素晴らしいし。

もう1つの素晴らしい曲は「Sunrise」。間違いなくヘビーメタルに最も近づいた曲であり、ジリアンがニュー・オーダーで1番好きな曲。

また「This Time Of Night」の冒頭で使われているジェフリー・バーナードの「私はいわゆるローライフ(低俗な生活)を送れる数少ない人間の1人だ」というフレーズも、アルバムタイトルの由来となった典型的なNOの内輪ネタだった。

そのことが、今回のアトモス制作の際に痛手となった。誰もそのクリップの出所を思い出せず、映画やテープのライブラリを何日も探し回ったんだけど、全く見つからなかったんだ。もし出所をご存知でしたら、ぜひ教えてください。

「そもそもなぜそこにあるのか?」と聞かれるかもしれないね。ええと…アルバムのレコーディング中はソーホーのバーやクラブで多くの時間を過ごしてた。あのセリフが収録されたドキュメンタリーには、当時僕たちがそういった場所で見聞きしたナンセンスな状況が正確に反映されていた。それは不思議なほど的を射ていた。それをトニー・ウィルソンは素晴らしいアイデアだと言って「ジェフ・バーナードって知ってるよね?」と聞いてきた。もちろん、我々は知らなかったが。

今、「Low-Life」を聴き返してみて、特に印象に残っていることは何ですか?変えたい点、特に誇りに思っている瞬間、あるいは時間の経過とともに作品に対する見方がどのように変化してきたかなど、何かありますか?

今「Low-Lite」を聴いていて特に印象に残っているのは、「Movement」や「Power, Corruption and Lies」と比べて、音楽的レイヤーがより重なり合っており、時折、空間をめぐる音の争いが起こっているように聴こえること。ミックスがところどころ少し混み合っているように聴こえる。

アルバムをアトモスで聴いて、特に印象に残っているディテールや瞬間はありますか?

「Low-Life」のアトモスミックスの素材調達において、最も困難を極めたのが「Elegia」だった。ウェンブリーのCTSスタジオで、夜通しのセッションで作曲・録音されたから。

この曲は、i-D誌が制作を検討していた短編映画のサウンドトラックとして構想された。そこで、我々は15分程の曲を用意した。それは短編映画くらいの長さだと考えたから(Low-Life Definitive Boxで入手可能です。恥ずかしげもなく宣伝します)。アルバムバージョンは、この曲の短いセクションを編集したり繰り返したりして作った。「Elegia」のマルチトラックは映画製作で使用される非常に長いリールしか見つからなかった。

編集で使用したセクションを特定するのは、まるで干し草の中から1本の針を探すような作業だった。しかし、結果はかけた時間に見合うだけの価値があったと思う。「Elegia」は空間音響との相性が良いと思う。おそらく、アトモスは「少ないほど豊か」という類いのものだから。

スティーブン・ウィルソンによる2024年ミックスに関する注記

スティーブンが言及しているように、アルバムタイトルの由来となった「This Time of Night」の冒頭で使用されているジェフリー・バーナードのボイスサンプルは、今回のリミックスでは見つかりませんでした。マルチトラックテープには収録されていないため、オリジナルのステレオミックスダウン中に別のソースから持ち込まれたに違いないと結論付けました。

バンドは正確な出所を思い出そうと試み、その後インターネットやBBCのアーカイブでジェフリー・バーナードのドキュメンタリー映像を隅々まで探しましたが、正確なセリフを見つけることができませんでした。抽出ソフトウェアを使って元のトラックから声を取り除こうともしましたが、ミックスでは声が小さすぎて不可能でした。そのため、新しいミックスで聞こえるのは、ドラムが始まる前の数語のみで、これはオリジナルのステレオマスターから切り取られたもので、それ以降は声は入っていません。

2025年 『Movement』ブルーレイ ライナーノーツ スティーブン・モリス

 「Movement」について スティーブン・モリスとの対談

「Movement」は、イアンを失ってから間もなく録音されたニュー・オーダーの最初のアルバムです。それらのセッションは特に難しかったかと思いますが、それはサウンドにどの程度影響しましたか?

サウンドについてはマーティン・ハネットの制作"技法"に拠るところが大きい。レコードを作った時の雰囲気は、悲劇的な状況で友人を失ったばかりのショックと悲しみと、イアンなしでジョイ・ディヴィジョンになろうとしているように思われたくない、でもどうすればいいのか分からない、という不安が入り混じったものだった。

僕らはジョイ・ディヴィジョンの時とほぼ同じやり方で、かなりはやく曲を書いてデモを作った。僕にとっての出発点は「Truth」と「Doubts Even Here」で、BOSS DR55ドラム・マシンを使ったことと、新しく手に入れたSimmons SDS5シンセ・ドラムを、必要かどうかに関わらず、それらを曲に落とし込もうとしたことだった。

もちろん、ジリアンの加入も深いところで影響した。物事が進むにつれて事態が回復することを期待していた。それは彼女にとって簡単なことではなかった

あなたはジョイ・ディビジョン後の自分の道を見つけ始めたばかりでした。何か違うことをしようとしたのを覚えていますか、それとも自然だと思うことを続けただけですか?

ジョイ・ディヴィジョンであったということだけが僕らが分かっていたことだったが、マーティンのプロデュースはバンド内にとって論争の種であり、それがジョイ・ディヴィジョンのレコードのサウンドの大部分を占めていた。

諦めるという選択肢は無かった。北方人らしく、僕たちは勇敢な顔をしてただ前進した。正直に言うと、他にできることも無いと思っていた。

したがって、僕たちは以前とほぼ同じ方法で作業を続けたが、以前と同じになることは決してないことは分かっていた。それはジレンマだった。

マーティンも同様だったかは分からない。彼が何を考えているのかを理解するのはいつも難しかったから。彼は僕たちが時間を無駄にしているのではないかと思ったようで、僕たちと彼との関係はどんどん悪化していった。

今にして思えば、マーティンはイアンの死により、本人が思っていた以上に大きな影響を受けていたと思う。しかし、僕たち全員と同じように、彼もそれを見せたくはなかった。1970年代に生きる男は、エモーショナルになることは弱さの表れとみなされていたから。

彼は自分の信念を貫き、これまでのように僕たちにただファック・オフと言うのではなく、渋々バンドの監督を引き受けた。

「Movement」セッションの終わり、マーティンがマーカス・スタジオでの12インチ「Everything's Gone Green」のミキシングで怒りを爆発させ出て行ったことで事態はついに頂点に達した。

「Movement」における最も大きく、最も明白で、最も不自然な変化のように感じられたのは、ボーカルとそれに伴う歌詞の執筆という厄介な問題だった。

全員が歌と歌詞に挑戦し、さまざまな熱意を持って取り組んだ。スタジオ作業に不慣れだったジリアンでさえ、マーティンに励まされ「Doubts Even Here」でボーカルに挑戦した。彼女が歌った言葉は、ロブ・グレットンの提案により、著作権がとうの昔に切れており、神は誰も訴えないという考えのもと、聖書から引用された。

マーティン・ハネットのプロデュースがアルバムに何をもたらしたと思いますか?

当時もその後も、長い間、僕は「Movement」を聴かないように最善を尽くしていた。このアルバムを作るのは大変だった。それは主に僕たちが全力で否定しようとしていた感情的な動揺のせいだが、「Movement」を聴くとあの時の感情がすべて戻ってきた。

もちろん、僕たちはマーティンのしたことに不満だった。それは、僕たちがライブで演奏する際に、その曲が持つべきだと思っているエネルギーを彼が骨抜きにしてしまったことに対するいつもの不満だった。

僕たちはいつも、もっと生々しく、ロックなサウンドを望んでいたのだが、マーティンはそれを水っぽいサウンドにしてしまった。当時、僕たちはそんな風に思っていた。

僕にとって状況が変わったのは、90年代後半から2000年代初頭にかけて、店(アーバン・アウトフィッターズなどの)で「Chosen Time」がかかっているのを聴いたときだった。最初はそれだと気付かず、ただ「おい、これはかなりイイ音だぞ」と。ニュー・オーダーのようなサウンドを試みている新しいバンドだとだと思っただけだった。まったく時代遅れには聴こえなかった。

それ以来、このアルバムの良さを理解するようになり、悲惨な思い出からは程遠いものであるという意見に落ち着いた。

スティーヴン・ウィルソンがドルビー・アトモスのミックスを担当したことで、僕は何十年ぶりにマルチトラックテープを聴き返し、マーティンがミックスに加えた労力とディテールの量、そしてトラックの録音と構成がいかに優れているかを理解し始めた。

以前はそれに対して少なからず不公平さを感じていたのだが、実際あのアルバムをあのように作らなかったら、その後の展開も違っていただろう。辛かったけど、長い目で見れば価値ある経験だった。

振り返ってみて、アルバム制作中の一番の思い出は何ですか?

特に「Chosen Time」で、なんとかマーティンを満足させようとシモンズでオーバーダブをするのが楽しかった。バンドの残りのメンバーは退屈でコントロール・ルームから出て行った。

Trout Mask Replica」のレコーディングについて読んだ文章に触発されて、彼は再びドラムを叩くというアイデアを思いついたが、トラックは聞かずに完全な静寂になるまでただ叩き続けるだけ。それはもう楽しかった。僕はマーティンの奇抜な実験をいつも楽しんでいた。

今、「Movement」を聴き返したとき、あなたが変えたいと思うこと、特に誇りに思っている瞬間、またはそれに対するあなたの見方が時間の経過とともに最も印象に残ることは何ですか?

僕が最も誇りに思っていることは、実際に「Movement」を作ったことだと思う。もちろん欠点はあるが、今の僕にとって(おそらく偏見があるが)、僕たちは非常に困難な状況下で最善を尽くし、非常に緊密で創意に富んだ絆であったように思える。

アトモスでアルバムを聴いて、特に印象に残ったことや瞬間はありますか?

アトモスでこのアルバムを聴くのはとても魅力的で、古い決まり文句で言えば「啓示」だった。マーティンが加えた(僕たちをイライラさせた)細やかなディテールやエフェクト、彼が曲に与えた途方もない空間感覚は、以前の僕には理解できないものだった。こんなことを言うとは思ってもみなかったが「Movement」を聴くのは楽しかった。

今、僕にとって悲しいことは、マーティンがこれを聴くことができないということ。彼の作品はまさに空間オーディオに向いていると思うから。また彼は、僕たちの初期のいくつかのギグでライブサウンドも担当してくれた。そこでは、初期の3Dライブサウンドの(やや壊滅的な)試みとして、ピンク・フロイドのクアドラフォニック・サウンドシステムの要素を使用することを主張した。それはあるギグでは素晴らしく聞こえたが、別のギグでは完全な不協和音となった。

マーティンは常に時代の先を行っていた。しかし、僕たちはライブクワッドサウンドを再び試すことはなかった。


スティーブン・モリスによるアトモスへの思い

1970年代初めの若くナイーブな音楽愛好家であり、ハイファイマニアだった僕は、従来の2つのスピーカーより、もっと多くのスピーカーから聴けば、レコードの音はもっと良くなるはずだという考えに取りつかれていた。スピーカーの数が2倍になれば、音も2倍良くなるのは明らかだと。

クアドラフォニック・サウンドは、まさにこの考えの最初の形だった。ピンク・フロイドやクラフトワークの音楽が部屋中に響き渡るというアイデアは、僕にとって刺激的かつ、少しばかり吐き気を催すものだった。

しばらくの間は流行した!クアドラ・サウンドこそが未来だと!叔母のお気に入りだったマントヴァーニでさえこの流れに乗った。

僕にとってそのバブルが崩壊したのは、これがどれほど高額で複雑なシステムになるかを知った時だった。3つの競合するシステムは僕を混乱させるばかりで、ターンテーブルへの行き帰りにつまずく可能性のある配線によって、いつ事故が起きてもおかしくなかった。

次第に僕は懐疑的になり、どうせ耳は2つしかないんだから、よほどハイにでもならない限り、それほどの違いは無いだろうと自分に言い聞かせることにした。

ベータマックスのようにクアッドは衰退したが、サラウンドサウンドのアイデアは決して消えることは無かった。映画館では、ヘリコプター、銃声、爆発、エイリアンのSF的効果音と相まって、退屈な映画に新たな次元を与え、見事に機能した。

これが我が家での音楽鑑賞の楽しみをどう向上させるのか、まだ見当もつかなかった。だって面倒すぎるでしょう?

時が経ち、老後、僕は10代の頃に愛聴したバンドのボックスセットをこぞって集めるようになった。これらのボックスセットには、5.1サラウンドミックスと呼ばれる音源が収録されていることが多く、それらは聴くこともなく放置されていた。相変わらず、スピーカーケーブルにつまずいて死んでしまうんじゃないかと心配だったのだ。

それは、周囲の若い人たちに「ホームシアター型ゲームシステム」を買うように勧められるまではそうだった。もっとリアルにゾンビを追い詰めて、倒せるようにするためだった。そのシステムを慎重に配線しているうちに、放置していた無数のディスクをPS4のスロットに挿したら面白いかもしれないと思いついた。

それは確かロキシー・ミュージックの最初のボックスだったと思う。最初は少し懐疑的でだったが、没入感のある音楽は面白くて楽しいものになり得ると気づき始めた。

ドルビーアトモスは数え切れないほど多くのスピーカーを消費する(気をつけないと34個にもなります)。適切な素材と適切なリスニング環境があれば、これは音楽を聴く全く新しい方法になるかもしれないと気づいた。

僕のお気に入りのサラウンドミックスはどれも多才なスティーヴン・ウィルソンによるものだと気づいたので、ニュー・オーダーのアトモスミックスの話が出た時、彼が僕のリストの一番上に挙がり、こうして実現したのだ。